Topics

画像:「悔しさ」を野心に変える瞬間
  • twitter
  • facebook

「悔しさ」を野心に変える瞬間

トレーディングカードゲーム(TCG)や将棋、囲碁、麻雀など、ポーカー同様に高い思考能力を用いて競われる「マインドスポーツ」。各分野プロプレイヤーが、日々どんな練習をし、いかにメンタルと技術を鍛えようとしているのかを探る連載「マインド加圧トレーニング」。今回はバックギャモンのプロプレイヤーである矢澤亜希子氏に話を聞いた。 バックギャモンとは、盤上に配置された双方15個の駒を用いたボードゲーム。先に全ての駒をゴールさせた方が勝ち、というシンプルなルールながらも、次の一手を打つ際に緻密な計算が求められるため、集中力と冷静さが試される。 矢澤氏は2014年、2018年と世界選手権で優勝を果たした。二度の世界王者戴冠は、日本人として初めての記録であると同時に、全世界で女性初の快挙である。 プレイを始めた当時は女性差別と直面したり、2013年にはがんを患ったりと、苦難に陥りながらも、優秀な成績を収めてきた彼女は、どのように高い壁を乗り越えてきたのか。

――まず、バックギャモンでは確率計算をもとに戦術を練り、「正解手」と言われる最善の一手を導き出すことが多い、と聞きます。矢澤さんは試合中、どのように戦術を練ることが多いですか?

矢澤亜希子氏(以下、矢澤) 「確率計算をもとに戦術を練り、正解手を導き出す」というよりは、「確率計算をもとに正解手を導き出し、対戦相手のプレースタイルに大きな特徴がある場合には、正解手をアレンジして戦術を練る」といったイメージです。

「正解手」を選ばないと確実に負ける!というような勝敗を分ける局面では、本当に細かい計算をし、慎重に答えを導きます。

ただ、次善である二番手でも勝率が大きく変わらない場合は、自分が得意とする展開に持ち込める手を選ぶことが多いです。

また対戦相手の過去の棋譜などを見て、相手が苦手としているパターンに持っていく戦術を取ることもあります。このようなアレンジは、あくまで勝敗を分ける局面ではない序盤などで行います。

――バックギャモンの試合は長時間に及ぶことも多く、集中力を持続させるのが難しい、というイメージがあります。その状況下で複雑な計算を行い、戦術を練るのは大変じゃないですか?

矢澤 確かに国際大会ですと、5日間の大会期間中に毎日10時間は試合をすることもありますね。私が初めて優勝した世界選手権(2014年)の決勝戦は、勝負の決着までに8時間かかりました。

――8時間......長いですね!

ただバックギャモンは区切りが良いところで休憩を取れるんです。自分が冷静さを失っていると気づいた時には、必ず休憩を取ってストレッチなどをしています。気が散っている時は、ミントのタブレットや炭酸飲料を摂取して、なるべく頭をリフレッシュさせていますね。

ポーカーが毎ハンドで勝負に出ないのと同様、バックギャモンも"勝敗に影響が出ない場面"が必ずあります。そういったシーンでは思考を浅くして、集中力の緩急をつけています。

常に全力で挑もうとすると、体力の消耗が激しくなって、トーナメントで勝ち切ることが出来ないんです。

210617_mindtraining_01.jpg

――確かにお話を伺う限り、バックギャモンは体力にも大きく左右されそうです。

矢澤 実際、試合中に脳をたくさん使うので、大会直後はいつも体重が何キロも落ちてるんですよ。集中力を保つためにも、試合中は飴やコーラを摂って常に糖分や水分を補給するようにしています。

疲れてくると周りの雑音も気になって、簡単な計算すら辛くなります。ただ、一度ゾーンに入ってしまえばカメラのシャッターも気になりません。面倒な確率計算の結果も瞬時に頭に浮かんできたりしますね。

練習では「自分は弱く」大会では「自分は強い」

――矢澤さんはご自身の傾向を客観的に捉えながら、体の状態をコントロールすることで集中力を保っているように感じます。こういった対策はどのように身についたのでしょう?

矢澤 体力や集中力の配分は、試合をする中で身についてきました。というのも、一度がんになった経験がありまして。抗がん剤治療を受けながら大会に参加していた時に「なるべく体力を使わずに集中しないと勝てない」と思ったんです。

そういう意味では、体力の配分や集中力の切り替えをほかのプレイヤーの方よりも研究しているのかもしれません。

――では、個人での練習時に心がけていることはありますか?

矢澤 そうですね......上級者になればなるほど伸びしろがなくなり、大会で急に強くなるということが難しくなります。なので、練習では長所を磨くよりも「自分はまだまだ弱い」と思いながら、苦手な部分や弱点を埋めるようにしています。

練習といっても、ゲームを実際にするのではなく、PCを使って勉強や研究をするイメージに近いです。AIソフトで棋譜の解析をメインに、全ての局面を全力で考えるようにしています。

競技を始めたばかりの頃は、ネットのオンライン対戦を重ねたり、強い人の試合を見たり、実戦の中から多くを学んでいました。実力や経験によって練習方法は変わりましたね。

210617_mindtraining_02.jpg

――「自分は弱い」と思いながら練習をする、というのは面白いですね。一方、対面の試合ではどういったマインドコントロールをすることが多いですか?

矢澤 練習とは逆に「自分は強い」と思いながら、自信を失わずに精神を落ち着かせて、堂々とプレイするようにしています。

また、気持ちだけでなく外見も強く見えるように工夫しています。私の場合は、試合中なるべく感情を表情には出さないように気をつけています。

バックギャモンはすべての情報を対戦相手と共有する完全情報ゲームなので、自分の喜怒哀楽を隠す必要はありません。ただ、やはりプレイヤーの態度や表情がプレイに影響を与えることもあるんです。対戦相手に嫌がらせにならない範囲で、緊張感やプレッシャーを与えることも大事だと思っています。

――では「負け」や「スランプ」などに遭遇した時、どのように向き合っていますか?

矢澤 バックギャモンが「正解を導き出せる競技」だからこそ、そこまでスランプを経験したことはありません。ただAIの出す正解を見ても、なかなか自分の中で消化できない時は少し時間を置くようにしています。

行き詰った時は、その局面に対して柔軟な考え方が出来なくなっているので、その間は別の局面の勉強をしたりします。数日たつとすんなり理解できたりしますし、別の局面を理解することが問題の局面の理解に繋がることもあるからです。

また、ときにはバックギャモンから離れて、別の分野から新しい発想のヒントや刺激を得たりもします。私はサイクルロードレースが好きなんですが、ツール・ド・フランスでの選手の得意不得意を踏まえた戦略が、競技としてバックギャモンをプレイする上でのヒントになったりするんですよ。

バックギャモンに集中している時は、嫌なことを忘れられる

――矢澤さんのそういった精神力の強さには、どういったルーツがあるのでしょうか。

矢澤 常に死の恐怖と隣り合う状態を経験したからこそ「自分が誇りに思える」ことが欲しかったのかもしれません。その考えが世界チャンピオンに繋がったんだと思います。

実際、闘病生活中は何もしていない時間があると悪いことを考えてしまうけれど、バックギャモンの局面に集中している時は、病気を忘れることが出来たんです。自分の中で「すごく良い人生だった」と思える実績を残したい、と当時は強く感じていました。

思い返すと闘病だけでなく、厳しい状況下での「悔しさ」や「辛さ」を野心やモチベーションに変えることが、成長に繋がっていたのかな、と。

例えば私が競技を始めた頃、大会の受付に行っても「女性だから」という理由で、選手だと思われず相手にされなかったことがありました。ペア競技に参加しても「男性プレイヤーの恋人」と思われたり、そもそもペアを組んでもらえなかったりもあって。

勉強の場でも、質問に取り合ってもらえなかったこともありました。おそらく、当時は強い女性プレイヤーがいなかったから。

210617_mindtraining_03.jpg

――それは確かに、とても悔しいエピソードですね。

矢澤 「女性だからってバカにしないで」と、仮に言葉で言ったとしても、実績や前例がないと相手にはあまり響きませんよね。実力をつけて一人の選手だと認識させるしかないな、と思いました。私は優勝といった結果を積み重ねることにフォーカスして、競技に参加するようになったと思います。

――矢澤さんがそうやって苦境を乗り越えてまで向き合い続ける、バックギャモンの魅力を教えてください。

矢澤 サイコロの出目という不確定要素に一喜一憂しながらも、自分の選択で勝利に近付くことが出来るというところです。たとえ良い目を振っても選択を間違えば勝てません。だからこそ、最善の一手を導き出す中でゲームの本質を捉えるよう頭が動くようになる。バックギャモンの思考プロセスは、他のマインドスポーツにも共通する所があると思います。

実は、ガス・ハンセン氏やフィル・ラーク氏、私の友人でもある木原直哉さんなど、プロのポーカープレイヤーにはバックギャモン経験者が多いんです。

私もポーカーをプレイすることはあります。国外ではカジノに隣接する会場でバックギャモンの大会が行われることもあるので、試合の気分転換にポーカーをプレイすることもありました。他のボードゲームで遊ぶこともありますし、最近ではFPSゲームにハマったりもしています。

ポーカーやFPSはバックギャモンとまったくルールが違いますよね。でも強くなるために"そのゲームの本質"を探っていくプロセスに、バックギャモンとの共通点を見つけたりすることがあるんです。

全然知らなかったゲームでも「このプレイヤーはこういうところで悩んでるんだな」とか「このゲームで重要なポイントはここだ」というのがわかる。すごく面白いです。他のマインドスポーツの魅力を存分に味わう上で、バックギャモンで培った思考が活きていると感じます。

■プロフィール

矢澤亜希子(やざわ・あきこ)

1980年、東京都生まれ。大学在学中の2001年にバックギャモンと出会い、2003年に海外のメジャートーナメントに初参加し、準優勝を飾る。その後も頭角を現し、2014年に世界選手権で日本人では3人目、日本人女性としては初めての世界チャンピオンとなる。2018年世界選手権でも優勝を果たすなど、日本を代表するプレイヤー。

ページトップ